先日、静岡市内のとある場所にて、歴史的な資料が発見された。

それは、江戸幕府を開いた徳川家康公が残した書であった。
家康公と静岡市の繋がりは深い。
「今川氏の人質だった幼少時代」、「甲斐・信濃・駿河・遠江・三河の5 か国を領有した大名時代」、そして「秀忠に将軍職を譲り、駿府城に隠退した大御所時代」を駿府(現在の静岡市葵区)で過ごし、実に七十五年に及ぶ生涯のうち、三分の一は駿府を居住地とした。

この度発見された書は、家康公が将軍職を譲りながらも、大御所として実権を掌握し、政治を実質的に主導した「大御所時代」に残されたものであった。
家康公は、大御所として駿府の地に拠点を移すに当たって、土手や水路の整備に始まり、駿府城を中心とする市街地の整備も積極的に行い、「駿府九十六ヶ町」と呼ばれる見事な町方を造りあげた。
なお、駿府城の南面に碁盤目状に整然と区画されたその面影は、現代に至っても色濃く残っており、呉服町・大工町など江戸初期からの町名が今なお残っている。

ここに、一つの疑問が残る。

なぜ家康公は、大御所としての拠点に駿府を選んだのか。

軍事的観点や政治的観点から諸説が語られてはいるが、この度発見された書によって、その決定的な理由が明らかとなった。それは、家康公の駿府に対するただならぬ愛情であった。
幼少時代を過ごした駿府の地は家康公にとってかけがえのない故郷であり、それゆえに駿府を栄えさせ、守るということを使命のように感じ、様々な事業を行ったのだという。
そして、書には知られざる最後の大事業について記されていた。
それは駿府が未来永劫の繁栄を遂げられるよう、莫大な財産を残すというものだった。
財宝の正体は、家康公が金座で鋳造させた大量の「駿河小判」である。

ただしその在りかは、真に駿府のことを思わない者の手に渡らないよう、暗号化され、巧妙に隠されたようだ。
果たして全ての謎を解き、埋蔵金を見つけ出すことができる者は現れるのか?!

(この物語はフィクションです)